生と死
法事
昨日祖母の法事に出席した。
我が家とは宗派が違うので当然お経も違う。
住職さんは若い人だった。前回のお葬式の時とは違うひとだ。
経本の文字を追いながら声に出してお経を唱える。すごく今に集中できていた。
昨今マインドフルネスとよく言われるが、これはまさに今に集中するということ。
法事に出席してお経をみんなで一緒に唱えると深く今に集中できる。
だんだんと頭と心、体がぽわーんとしてきた。
浮遊感に似ているような感覚。それでいて頭はすごく冴えわたっている。
恐れも不安もない。まっさらでただただ今だけがある状態。
この感じとても心地が良い。
しかもこれは自分ひとりではなく、みんなで故人を想いながら同じ時を過ごす。
すごく有意義な時間だ。
30分くらいかけて二つのお経を読んだ。
その後お墓へ行った。コロナ渦でできていなかった納骨をするためだ。
お骨を入れるための準備をして、みんなでお骨をお墓に入れた。
お花を飾、またお経を唱える。ひとりひとりお墓の前で手を合わせた。
命あるものはいつかはみなこうなるんだと感じた。
生があるから死がある。死を感じるからこそ生が輝く。
日本では日常的に死について話したりすることはあまり好まれない気がする。
しかし、生と死は切っても切り離せないものだと思う。
死を意識することで自分の人生をより意識して生きていける。
もっと自分の死について考える機会があってもいいのではないかと思う今日この頃だった。